エホバの証人2世として生まれた私の記録「普通の家に生まれたかった」

自己肯定感を上げる

エホバの証人2世の苦しみ

これは、
今まで誰にも詳しく話したことのない、
私自身の過去の話です。

すでに私は教団から離れることができ、
安全な立場にいます。

それでもあえて書こうと思ったのは、
同じ境遇で育ち、理由の分からない
生きづらさを抱えている人に、

「あなたの感覚は間違っていない」
伝えたかったからです。

エホバの証人2世として生まれた私が、いま本当に伝えたいこと

エホバの証人の子として生まれてしまった以上、
子どもに選択権はありません。

母に連れられて、週に何度も
「集会」と呼ばれる場所へ行き、
小さな体で、何時間も
静かに座り続けることを求められます。

私が子どもの頃は、
週に3回ありました。

小さな子どもが、2時間も
じっとしていられる方が異常です。

当然、集中力は切れ、
落ち着きがなくなります。

すると、別室に連れて行かれ、叩かれる。
私は手で叩かれた記憶しかありませんが、
革ベルトで叩かれている子も、たくさんいました。

どんなに嫌でも、
子どもが一人で生きていくことはできません。

だから、
エホバの証人の家庭に生まれたら、
どんなに嫌でも、従わなければならない。
それが、私たち2世の現実でした。

「普通」を知らないまま、学校という世界に放り込まれる

私は生まれたときから、
母がエホバの証人でした。

「この世との関わりを断つ」という教えのもと、
幼稚園にも、保育園にも通っていません。

小学校に入学して、いきなり“集団生活”
という世界に放り込まれました。

エホバの証人には
「義務教育は受けさせる」という
方針があるからです。

そして入学して間もない、
小学1年生の5月ごろ。
私は母の命令で先生のところへ行かされました。
そして先生にこう言うように命じられました。

「○○音頭には、
参加できません」

・・・私の通っていた小学校では、
「○○音頭」という地域の伝統の踊りを、
全校で踊る行事がありました。

しかしエホバの証人では、
地域の伝統行事やお祭りは
「エホバ以外の何かを称えるもの」として捉えられ、

宗教的な意味がないように見える行事であっても
参加が禁じられていました。

そのため私は、小学校に入学して間もない頃、
「○○音頭には参加できません」と
先生に伝えに行かされることになったのです。

人生で初めての学校生活。

友だちも、空気も、
何も分からないその時期に、
自分だけが“違う存在”だと、
はっきり突きつけられる。

そこから始まったのが、
エホバの証人の子として生きる、
地獄の義務教育
でした。

参加できない行事だらけの学校生活

学校行事は、
子どもにとってただの「楽しみ」です。

でも、エホバの証人の子どもは
ほとんど参加できません。

・ひな祭り

・七夕

・クリスマス

・誕生日会

すべて「異教の習慣」として禁止。

体育の授業でみんながやる格闘技も
「戦いを学んではいけない」と禁止され、
柔道は見学。

体育祭の騎馬戦も参加禁止。
校歌斉唱、国歌斉唱も禁止。

選挙活動が禁止されているため、
生徒会の投票も禁止。

そのくせ、学校には
行かなければならない。

楽しそうに、
お母さんと一緒に作った七夕飾りや
クリスマスの作品を持ってくる
友だちの笑顔を見るたびに、

「どうして、私だけ
こんな家に生まれてしまったんだろう」

胸が張り裂けそうでした。

私の小さい頃からの願いは、ただひとつ。

普通の家に生まれたかった。

これは、
一般的な家庭に生まれた人には
想像すらできない感覚かもしれません。

でも、
こんな「当たり前」が叶わないのが、
エホバの証人の子どもたちです。

目立たないように、生きるクセが染みつく

学校行事に参加できないということは、
とにかく悪目立ちします。

だから私は、
目立たないように、目立たないように、
目立たないように……
生きるようになりました。

これは、恥ずかしさからの
自己防衛本能だったのだと思います。

「言いつけを破って
参加すればいいじゃないか」
そう思う人もいるでしょう。

私自身も、今ならそう思います。

でも当時は、
同じ学校にいるエホバの証人の子に
常に“監視されている”ような感覚がありました。

もし行事に参加しているところを見られたら、
親に伝えられ、
その後、何が起こるかわからない。

本当に、逃げ場のない恐怖の中で
生きていたのだと思います。

奉仕という名の、強制勧誘

さらに苦しかったのが
「奉仕」と呼ばれる勧誘活動です。

エホバの証人の言う「奉仕」は
信者たちが一軒一軒、家をまわり
勧誘活動をするのです。

土曜日の午後などに、
強制的に参加させられました。
自分の学校の校区を回ることもあります。

中にはクラスメイトの家もあります。
やりたくもない、
信じてもいない宗教の勧誘活動で
クラスメイトの家まで回らされる屈辱感。

玄関のチャイムを押すたびに
私は心の中で祈っていました。

「誰も出てきませんように」
「誰にも見つかりませんように」

ただ、時間が過ぎるのを耐えるだけ。

自分が望んでいないことを、
拒否する権利もなく強要され続ける。

その積み重ねが、
「自分の意志は抑え込むもの」
という、強烈な思い込みを作っていきました。

なぜ、親は宗教にハマったのか

では、なぜ母は
こんな宗教にのめり込んだのでしょうか。

私の母は、
夫婦関係や人生に疲れていた時期に、
エホバの証人の勧誘を受けました。

「幸せになるため」に、です。

洗脳されている本人は、
きっと幸せなのだと思います。

自分の子どもが、
どれほど苦しんでいるかに
一生気づかないまま。

だから、ここに対して
私はもう責める気持ちはありません。
信仰するのは、個人の自由です。

自分だけで完結するなら、
それでいい。

問題は、
望んでもいないのに、
そこに生まれてしまった子どもたちです。

それでも、心の奥にあった希望

私の心の中には、
ずっとひとつの思いがありました。

「いつか、
自由になってやる」

それだけが、
私を生かしてくれていた希望でした。

様々な葛藤や過程がありましたが、
私は幸いにも、中学校に上がってから、
いわば強行突破の形で
エホバの証人から離れることができました。

とはいえ、
それは簡単なことではありませんでした。
エホバの集会が始まる夜の時間になるまで
私は家に帰らず、

母がしびれを切って出かけてしまうまで
外で時間を潰す、
ということを何度も繰り返していました。

それでも、どうしても行きたい高校があり、
勉強だけは独学で必死に続けていました。

その当時はまだインターネットもなく、
塾に行かない以上、勉強するためには
本屋で参考書や問題集を買うしかありません。

ところがそれすらも、
「エホバの集会に参加しないなら、一切買わない」
と言われ、事実上の条件として
突きつけられていました。

エホバの証人から離れようとすることと、
将来の進路や学ぶ権利が、
取引のように結びつけられていたのです。

あの頃の私は、
自分の人生を自分で選ぼうとすればするほど、
生活のあらゆる場面で支配されていることを
思い知らされていました。

私も今、人の親になり、
当時の私と同じ年齢で
受験に向き合う娘を育てています。

目の前で必死に勉強するその姿を見ると、
あのとき、学ぶことや未来を条件にされた
自分のことを思い出し、親としての立場から、
当時の母の言動に
強い違和感を覚えずにはいられません。

こうした経験をしたのは、
私だけではありませんでした。

小学校時代、同じクラスにいた
エホバの証人2世の子と
20代で再会したことがあります。

中学生以降、
どのような暮らしをしていたのか尋ねると
その子は、兄弟3人で協力して、
エホバの証人から逃げ出し、
兄弟だけで暮らしていたそうです。

子どもが、自分の意志に添った人生を歩むために
兄弟で力を合わせて
脱出しなければならない。

それは、もう普通の状況でないということは
たやすくご理解いただけると思います。

そしてこんな思いをしている
エホバの証人の2世は今もたくさんいる。
これが現実です。

自由になっても、苦しさは残る

宗教から離れることができ、
自由な世界に飛び込んでも、

「目立ってはいけない」
という思い込み、刷り込みは、
しつこく残りました。

はたから見れば
自由奔放に楽しんでいるように
見えたであろう高校時代も
ふと自分と言うものがわからなくなる
瞬間がありました。

何が自分らしいのか分からない。
自信がない。
自己肯定感が低い。

私は長い間、
生きづらさを抱えていました。

そんな中、20代で
生まれ持った宿命を学問として読み解く
命術に出会いました。

生まれ持った資質。
本来、どのように生きると
自分が自然に輝けるのか。

これを理解したことにより少しずつ、
軌道修正ができるようになりました。

自分の本来生まれ持った資質や才能を
理解することによって
自己肯定感を取り戻しました。

どうして自分がこんなに苦しかったのか
ハッキリ理解でき、
心から幸せに感じる毎日を送ることが
出来るようになりました。

あれほど「目立ってはいけない」
信じ込んで生きてきた私でしたが、
自分の宿命や才能を知ったとき、

その思い込みこそが、
本来の私の在り方とは
真逆だったことに
気づきました。

今はこうして人前に立ち、
自分らしい形で誰かの役に立てている。
それが、かつての私には想像もできなかった
「本来の人生」なのだと思っています。

エホバの証人にとって占いの類は全て、
悪魔崇拝やオカルトと結びつくものとして
厳しく禁じられています。

聖書に基づき、悪霊(悪魔)の影響を受ける
行為とみなされ、信者はこれらを避けるべきで
重大なタブーとされています。

正直に言えば、私はこの考え方そのものに
強い違和感を覚えています。

自分の意思とは無関係に
生まれた子どもたちの価値観や選択の自由を奪い、
その影響が大人になってからも続く。

私には、
そうした構造のほうがよほど危うく、
深刻な問題を含んでいるように
感じられるのです。

大人になった今だからこそハッキリ言います。
人の人生や尊厳にこれほど
長期的な影響を与える考え方を、
私は「健全」とは
どうしても思えません。

同じ境遇のあなたへ

エホバの証人2世・3世で、
苦しい思いをしながら
生き延びてきた人は、たくさんいます。

幼少期にあれだけ
自分の意志を抑え込まれて育てば、
自己肯定感が低くなるのは、当然です。

才能や宿命の問題ではありません。
環境の問題です。

だから、
宗教から離れたあとも
生き方が苦しい人が多い。

それは、あなたのせいではありません。

私は、
同じ元エホバの証人2世として、
「本来の資質を知り、
自分の軸で生きられるようになると、
本当に幸せを感じられる」

そのことを、
ただ知ってほしい。

押しつけたいわけではありません。

辛い過去は、消えません。

でも、
“今”の自分が幸せになると、
その過去すら、
少しずつ受け止めやすくなります。

宗教に入らなくても、
自分の本質に従って生きることで、
人は本当の幸せを手に入れられる。

私は、それを体現しています。

もしこの文章が、
今もどこかで苦しんでいる
エホバの証人2世・3世の心に
そっと届いたなら。

それだけで、
この記事を書いた意味はあると思っています。

富岡紗和子プロフィール

【この記事について】

本記事は、筆者自身の体験をもとに書かれた個人的な記録です。
特定の宗教団体や信仰そのものを断罪・否定することを目的としたものではありません。

信仰のあり方や感じ方は、人それぞれ異なるものであり、
同じ環境であっても、受け取り方や人生の歩みは一人ひとり違います。

この記事が、
同じような背景を持ち、言葉にできない生きづらさを抱えている方にとって、
「自分だけではなかった」と感じるきっかけのひとつになれば、
それ以上の意図はありません。

プロフィール
富岡紗和子
富岡紗和子
湘南藤沢占い 帝王命術 鑑定師

私の行う鑑定は、帝王学・四柱推命・算命学そして東洋の自然科学である陰陽五行論を取り入れた高度な鑑定に、会社を設立して25年の実績と人生経験を加え、ご相談者さまの人生をより良い方向へ導くお手伝いをしております。

いわゆるエンターテインメントとしての占いとは異なり、現実の課題に即した実践的なアドバイスを大切にし単なる未来予測ではなく、行動の指針となる具体的な示唆をお伝えすることを心がけています。

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